日本で開花したフィンランドログハウスの歩み【その②】
日本のマシンカットログの多くは、今も昔もフィンランド製。本国では1950年代に登場したマシンカットログは、いつから日本に建てられ、どのような発展を遂げたのか? 事情をよく知るおふたりに伺った。
リゾート施設から別荘へ。一般ユーザーに普及し始める
「ホンカ・ジャパンができる以前の1986年、私は学生として初来日しました。そのときに感じたのが『日本人は寒い家に住んでいるなあ』ということ。そこで母国フィンランドのあたたかい家であるログハウスを日本に普及させたいと考えました。一度帰国し、日本市場の可能性やポテンシャルを会社に伝え、ホンカ・ジャパン設立準備のために、再び日本へ来たのが1989年です」。 ホンカ・ジャパンの設立当時は、ほとんどの物件が別荘で、施工例の増加とともに喫茶店や動物病院などの商業施設が登場するが、住宅として建てられることはまだまだ少なかったという。 「やはり当初はリゾート施設が多かったですね。時代背景もあり別荘も大型物件が主流となっていて、この頃には、いわゆる『素朴な丸太小屋』というイメージは薄れていたと思います」と高柳さん。会社を立ち上げて5年後、手がけた商業施設が大災害に見舞われる。1993年の北海道南西沖地震だ。
「奥尻島に建てたレストランが、マグニチュード7.8の大地震に遭い、海岸沿いにあったため津波にも襲われました。でもログハウスは崩れることもなく、中のものの破損もほとんどなく、その後は地域の避難所として使われたのです。このことは、ログハウスの耐震性を証明する大きな機会になったと思っています」。しかも、このログハウスは、レストランの社員たちがセルフビルドで建築したものだというから、施工力にかかわらず、ログハウスの構造自体の強さを実証したといえる。 マルコさんも「日本は地震の多い国で、気候はフィンランドよりも高温多湿。そんな風土に耐えられるよう、ログを改良していくことで、フィンランドのログハウスの性能も向上してきています」と語る。
お話をうかがったのは…
取材・文/たむらけいこ、写真提供/㈱TALO インターナショナル、㈱ホンカ・ジャパン
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