日本で開花したフィンランドログハウスの歩み【その①】
日本のマシンカットログの多くは、今も昔もフィンランド製。本国では1950年代に登場したマシンカットログは、いつから日本に建てられ、どのような発展を遂げたのか? 事情をよく知るおふたりに伺った。
約50年前、1972年にフィンランドログが初上陸
日本のログハウスは、ハンドメイドで建てた丸太小屋が原点といえるが、毎日を過ごす住宅としてのログハウスが定着したのは、海外からマシンカットログが上陸したことが大きな要因といって間違いない。 機械で加工された精度の高いログは、日本で住宅として使うにも十分な機能を備えていた。日本では、マシンカット=フィンランドというほどに定着している。上陸当初から現在まで、日本におけるフィンランドログの普及を牽引してきた2社に話を伺いながら、フィンランドログハウスの魅力を探っていこう。 「古い話なので、資料を当たったり親戚に尋ねたりして確かめたのですが、1972年に250棟の契約があったという記録が残っています。それがフィンランドログ日本上陸の始まりであり、フィンランドから海外へログハウスが輸出された最初の大きなプロジェクトといえると思います」と語るのは、ホンカ・ジャパンの代表、マルコ・サーレライネンさん。同社はフィンランドのログメーカー、ホンカラケンネ社の日本法人だ。このときのプロジェクトは規模が大きかったこともあり、ホンカラケンネ社を中心に、いくつかのフィンランドのメーカーが生産したログが日本に送られていたという。
建てられたのはスキー場のコテージといったリゾート施設で、フィンランド対日本のログハウスビジネスとして成功をおさめ、輸入ログハウスが定着するきっかけとなった。その後もいくつかのプロジェクトを経て、1991年にホンカ・ジャパンが設立される。
一方1991年、こちらはゴルフ場の大型プロジェクトとして、広島県に20棟のフィンランドログが建てられる。これに携わっていたのが、のちにTALOインターナショナルを立ち上げ、ホンカ・ジャパンとともに日本にフィンランドログを広めてきた高柳和夫さんだ。 「当時は、ホテルや商業施設を設計していて、コンクリート建築主体の仕事をしていました。木造のログの建築に携わり、その構造体の力強さに圧倒されたことは、今でも強く記憶に残っています」。この強い思いを機に、1988年TALOインターナショナルを設立。「日本の真壁工法と同様に、木の躯体がむき出しの構造で、コスト的にも経済的。素晴らしい建物だと思いました」。 日本での始まりは、いずれもリゾート施設であり、このあと別荘としてマシンカットログが普及していくことになる。
お話をうかがったのは…
取材・文/たむらけいこ、写真提供/㈱TALO インターナショナル、㈱ホンカ・ジャパン
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