幻の「杉田梅」の魅力を伝える市原さんの梅しごと【その①】
本来、「梅しごと」とは梅干しや梅酒を作ることを指す言葉だが、料理研究家・市原由貴子さんの取り組みはスケールが大きい。一度は消滅したかに思われた日本古来の梅の再生と普及に力を入れているのだ。そのユニークな活動を見せていただいた。
奇跡的に生き残った古い品種を接ぎ木で殖やす
毎年6月から7月にかけて、料理研究家・市原由貴子さんは梅の実の収穫と保存、加工に大わらわとなる。取材に訪れると、加工待ちでザルに盛られた無数の実がところ狭しと並び、桃のような甘い香りで室内を満たしていた。よく見ると、ひと粒ひと粒がやけに大きい。平均直径約5㎝ と、赤ちゃんの握り拳ほどもあるのだ。 市原さんが大切に育てて加工しているのが「杉田梅」だ。品種改良されていない日本古来の品種で、クエン酸の含有量は日本有数。「だから梅干しや梅酒に向いているんです」と市原さん。お手製の梅干しをいただいてみると、鮮烈にしょっぱくて酸っぱい。そして、後味にうまみが残るのが印象的だ。塩をしっかり効かせた梅干しは、常温で百年経っても腐らない。そんな梅の不思議なパワーを引き出す昔ながらの製法に敬意を表して、あえて減塩せずに作っているのだ。「化学的な保存料なしで長期保存できることがすばらしいし、その製法が何百年も伝えられてきたことの文化的な価値も大きいと思います」。
杉田梅は、かつて杉田村(現在の磯子区杉田)で古くから栽培されていた品種だ。名物として全国的に知られていたが、戦災や宅地化などにより梅林は姿を消してしまう。しかし、ほとんど絶滅したかと思われていた杉田梅が、県内の小田原市で受け継がれていたことが判明。25年ほど前にそのことを知った市原さんは、原木の枝をもらい受けて接ぎ木を行い、かつて杉田村だったこの地で再生に取り組み始めた。もともと磯子区内の歴史の浅い新興住宅地に住んでいたことから、歴史的ないきさつのおもしろさに興味を持ったのが、活動を始めたきっかけだ。
【豆知識】浮世絵に描かれた観梅の一大名所・杉田村
かつて杉田村は土質が悪く、米や野菜の生産には適さなかった。約400年前の天正年間、領主が「地質が悪くても育ちやすい作物を」と梅の栽培を村人に推奨したことが「杉田梅」の始まりとされる。元禄年間には梅林が3万5000本を超える規模に発展。観梅の名所として全国から多くの観光客が訪れ、浮世絵師の歌川広重が描くほどよく知られた存在だった。もちろん収穫した梅から作った梅干しも保存食として活用されていたという。
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