知ってるようで知らない!? 日本と世界のログハウスHistory 【その① 屯田兵の住宅として造られたログハウス】 

木材を横積みにして壁面を構成するログハウスは、古くから世界各地で建てられていた。知っているようで知らない、ログハウスにまつわる歴史的なエピソードをご紹介しよう。

文/押田雅博

ロシアからビルダーを招いて20棟を建築

篠津屯田兵屋。敷地にはクワが自生していたので、カイコを飼うことが推奨されたという

北海道の開拓に尽力した明治初期の屯田兵。その屯田兵の兵屋としてもログハウスが使われていた。屯田兵が入植する際に各戸に給与された住まいであり、屯田兵とその家族10人前後が住んでいた。 なぜログハウスが採用されたかというと、準陸軍中佐で屯田事務局長であった永山武四郎が、明治11年にロシアのウラジオストックを訪れた際、風雪にも耐え、防寒にも配慮した北海道にふさわしい建物であることを知った。そこで、開拓長官であった黒田清隆に進言し、兵屋として採用するようになった。黒田もこれには大いに乗り気のようであった。当時のロシアは17世紀までの住宅はほとんどログハウスであり、建築として確立していた。住宅ばかりでなく、公共施設やギリシャ正教会など広く普及をしていた。 ウラジオストックから3人のログビルダーを招聘し、中隊から選ばれた大工の心得がある日本人3人とともに篠津村に20棟の兵屋を建築した。工事は明治12年春から14年5月まで行われた。両面を落とした丸太材を積み重ね、丸太の間には苔をはさんで、すきま風が入らないように工夫。建坪16坪の中2階で、丸太材はまっすぐに成長する谷地ダモが使われ、室内にはロシア式の暖炉が用いられた。 当初は、すべての兵屋をログハウスにすることを前提にして建設していたが、建築費が大幅にかさむことから、この20棟を建てた後は再びログハウスが採用されることはなかった。

写真提供/江別市郷土資料館、参考資料/『篠津屯田兵史』(江別市篠津自治会)

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